行間をよむ

名前に価値があるのではない。言葉に価値があるのではない。

秋冬ネイル〜べっ甲柄と雪模様〜

いまチキンらーめんにタバスコかけて食べたとこ。ちゃんと卵ものせたよ。

それ食べる前にネイル新しくしたんだ。

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ベージュ × パステルグリーン

秋を通り越して冬になってしまった感あるけどまあいいか。最近寒いし。

秋ネイルといえば、このまえ友だちにしてあげたべっ甲ネイルかわいかったな。

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レトロガールな彼女に合わせてストーン選んだらとっても素敵になったの、気に入ってもらえてよかった。

 

手のネイルするついでに足も新しくした。今回はハートにしてみた。黒か赤かで悩んでけっきょく赤いハート。黒は今度する。

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以上ですおやすみなさい。

置いてかないでよ。

誰かとおんなじベットで一緒に寝るの、あんまり好きじゃない。

だってほとんどの場合、相手のほうが先に寝ちゃうから。いつもより狭くかんじるベッドのせいで肩を縮こませたまま、暗闇の中にひとり取り残されるのは嫌なんだ。

時計と寝息の音。

孤独と圧迫感が同時に押し寄せてきて、そのせいでよけい眠れなくなる。

 

これならひとりで寝たほうがずっと気楽でよかったなんて思ったりする。だけどいざ一人になったら、それはそれで寂しくなるんだ。きっと人間なんてみんなそんなもん。だからさ、

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「わたしが寝るまで寝ないでね」


そんなわがまま、言ってみてもいいですか。

自分を守るための鎧なんか君には必要ないんだよ

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彼は他人のことは信じないと言っていた。そうしないと痛い目にあうんだって。言葉は嘘をつくから、と。

たくさん傷ついて辛い思いをしてきたんだろうな。それで自分を守るために辿り着いた解決策がきっとそこだったんだろう。だけどほんとはもう今の彼に、それは不必要なように思えた。次のステップに進むためには手放さなくてはいけない価値観。

人は痛い目にあうと、今後そうならないようにと鎧を纏う、自分の身を守るために。だけどそれは次第に古くなって錆びてきて、昔より重たく感じられるようになってくる。動きづらくなってくるのだ。

そんな重たくて邪魔な鎧なんか脱いでしまえばいい。最初はあまりの無防備さに不安になるかもしれない。だけど大丈夫、なんの問題もないことにすぐ気づくだろう。なにもなくたって昔みたいに自分が傷つかないことに。重たい鎧を日々纏うことであなたは自然と鍛えられ強くなっていたのだ。

自分を守ってくれてたはずの鎖は、いつの間にか重たくて、自由が効かない身動きを制限するだけの邪魔なガラクタになっていた。

 

脱げば楽になるのに、未だに不要になった鎧を纏ってる人のなんと多いことか。
必要なのは昔の自分とはちがう、成長した自分を信じるきもち。

 

ねぇ、どうして私たちは皆、お互いに兄弟みたいになれないのかしら?

どんな良い人でも何かしら他人には隠し事をして、自分の秘密を他人には言わないのは、なぜかしら?

どうして自分の心にあることをまっすぐに率直に言ってしまわないのかしら?

これじゃあ、誰もがまるで、実際の自分よりも手強そうな人間に見せかけようとしていて、自分の感情をあまりすぐに明かしてしまったら、それを傷つけることになるとでも恐れているみたいじゃない?… (「白夜」より)

 

白夜/おかしな人間の夢 (光文社古典新訳文庫)
 

 

 

 

「あなたのことが嫌いです」と言える人になりたい

「きらい」という言葉を口にするのは、なかなか勇気がいる。

「嫌わる勇気」なんて本が少し前に流行ったけれど、その反対の「嫌いになる勇気」といいますか、「嫌いを口にする勇気」といったほうが近いかな。

私は日常生活の中で「嫌い」という言葉をあまり使わない。

それに近いニュアンスとして「苦手だ」という表現を使うことのほうが多いのだけれどそれは「嫌い」という言葉の軽々しく口にするにはあまりにも強すぎる影響力、というか言霊の力みたいなものにびびっているからなんだと思う。

だって「嫌い」という言葉というのは、鋭利な刃物のように簡単に人を傷つけることができてしまう強いパワーのある言葉だから。

自分で言うのもなんだけど、わたしは自分のことを傷つきやすい繊細な人間だと自負していて、だからその言葉の破壊力は身をもって知っているつもりだ。

「だれかから否定される」というのはやっぱりどうしても悲しいものだし、自分がされて嫌なことを人にした場合、わたしは相手がどう思うか云々よりその行為をしている自分自身に耐えられない!となってしまうので、そういうことはできない。

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と、ここまで長々と言い訳めいたことを書いてしまったのだけれどほんとのところ、人に嫌いだと言えないのは「自分に自信がないから」というのが一番の理由なのでは?と最近気づいてしまった。

 「正解なんて存在しない。同様に間違いも存在しない」

というのがわたしの基本的なスタンスなのだけれど、その言葉には同時に「自分が絶対正しいなんて言い切れる自信も強さもない。だから自分に相手を否定する資格なんてないし、そんな勇気もない」という不安があったんだなあ、と。

自分の意見にどこか自信が持てずに「もしかして相手のほうが正しいのでは?」という気持ちがいつもどこかにあって消せなかった。

だからこそ、人に否定されると「もしかしたら自分がまちがっているのかもしれない」とすぐに気持ちが揺らいだり、ネガティブな気持ちになったりするし、あんたなんか嫌いだと言われたら「あぁ、自分なんて」と簡単に傷ついて落ち込んでしまっていたんだとおもう。

自分に自信がない(正しいと思えない)わたしなんかが人様を悪く言う資格なんてないと思っていて、だから「あなたが嫌いです(間違ってます)」と言うことができなかったんだよね。

わたしのそういうところを素直だとか柔軟性があるだとか、それがきみの良さなんだから治さなくていいよ、と褒めてくれる人はいたけれどそう言われても、自分的にはやっぱりなんだかしっくりこなくて「うーん?そうなのかなあ?」と感じていた理由がなんとなく分かった気がする。

たしかに柔軟さ、間違いを認める謙虚さ、みたいなものは大事だけれど「わたしは正しくて、だからあなたの意見はわたしの世界の中では間違ってるんだ」と言える強さ(自信?)みたいなものが今までのわたしには足りてなかったんだと思う。

自分のことはまず自分が信じてあげないといけないね。 

私の世界では貴方は間違っている。
でも貴方の世界じゃ貴方が正しいんだよ。

それでいいじゃないか、ぶつかる必要はどこにもないはず。

貴方は貴方の世界を生きてください。

私は私の世界を生きていくから。

 

否定するわけでもなく、ぶつかるわけでも相手を変えようとするのでもなく、悪意がなくて濁ってない透明な「あなたのことが嫌いです」が言える人になれるといいなって思う。

 

寝たいときって死にたいとき

わたしは昔から寝るのが苦手だ。

寝ない子供だったし寝ないといけないから、ずっと夜が嫌いだった。

厳密にいうと寝るのが嫌いというより眠りに入るその瞬間が苦手なんだけど(寝てるのは好き!二度寝も好き)。

寝たら今日が終わってしまうからもったいないとか怖い夢をみたら嫌だなとか、理由は色々あるんだけど一番の理由は「意識を失うのが怖い」からだと思う。

自己制御不能になってしまうことへの不安、というか。だって「眠る」ってほとんど「死んでる」みたいなもんじゃない?

寝てる間って自我とかないから、自分が何考えてるとか分かんなくてひたすら受け身だし、夢がもしバッドエンドだとしてもただ指を咥えてみてるしかないんだよ?(自分の夢なのに!)

そういう足場が崩れ落ちていく、というか自分が自分の手の届かないところにいってしまうようなそういう感覚が恐ろしくて、だからわたしは眠るのが苦手なんだと思う。

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そんなわけで、いつもは睡眠時間短めな人間なのだけれど実は反対に「眠ってばかりな期間」というのも存在するんですよね。

朝から晩まで寝てたり、ちゃんと寝たはずなのに昼寝する、みたいなのが一、二週間続く。

 

頭の中が考え事でいっぱいになって整理が追いつかず、ぐちゃぐちゃになったときにそうなる気がする。

わたしは「ぼーっとする」ことができない人間で。はたから見れば、ぼんやりしているように見えたとしても実際はなにか考え事をしている。

頭の中は常にフル稼働していて、

「飛んでた!何にも考えてなかった!今なんて言ったの?」

なんてことは起こりえないのだ。

 

そういうわけで、起きているかぎりわたしの頭は休めない。

だからたまに「もう考えたくないよおお思考停止したい、ちゅかれたあああ」という状態になるのである。考えることが苦痛になるというか。

その結果、強制シャットダウンみたいな感じで「死んだように眠る」という現象が発生する、のでは??

と勝手に思ってるんだけど、この話しても共感してくれる人あんまりいなくてツライ。

肩の力を抜いてみたら、少しだけ生きやすくなるかもよ。

もし、この世界から法律や規則やルールというものがなくなったとしたら?

そんな話をした。そうなったら世界は大変なことになってしまうと彼は言った。
なんで?殺したい人でもいるの、って聞いたら「もしそうなったら、まず身の回りの危険人物はとりあえず殺す。そりゃ殺したいわけじゃないけれど、ヤラれる前にヤラないと」なんて物騒な答えが返ってきた。

それを聞いてなんだか納得した。そういう考え方の人ってきっといっぱいいるんだろうなって。恐れを基盤にした思考というか、そこを基準に考えてしまう人がたくさんいるから争いはなくならないんだなあ、なんて思ってみたり。

もし彼のいう世界の中じゃ、わたしはすぐに死んでしまうだろうな。
疑うより信じたいし、恐れるより愛したい。
殺すなら、殺されたほうがましだ、くらいにおもっているんだから。

そんな生き方は、傷つきやすくて不器用で、生きづらいと心配されたりバカにされたりもするけれど、でもやっぱり仕方ないのです。

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世界は敵だらけだと、恐ろしいところだと怯えて、片意地張って、傷つかないよう心を閉じて生きていくのって、苦しいしつまらないじゃないですか。

それにそうやって生きていくには、あまりにも人生は長すぎるよ。

夢物語だと笑われてしまうかもしれないけれど、わたしは人は縛られなくてもホントはちゃんと生きていけるんだって信じてる。
その可能性は限りなく低いのかもしれないけれど、ゼロではないはず。

いつか人々が曇ったレンズを外して、恐れや欠乏感を手放したとき、

ここは楽園になるのだとおもう。

自分と気の合う人、思想の似てる人のみつけかた

簡単なようで、意外とむずかしい。

この世界には色んな人がいて、みんなそれぞれ色んなことを考えてるわけで、わたしと全く同じ人間なんてもちろん存在しない。

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