読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

行間をよむ

名前に価値があるのではない。言葉に価値があるのではない。

バカにするのとただ受け入れるのは似てるようで全然違う。

 

すぐに人をバカにしてまう自分が嫌いだった。

 

「なんでこんなことも分からないの?」「何にも考えてないじゃん」「この人には言っても無駄」「バカみたい」

笑顔で当たり障りのない会話をしていても、頭の中ではいつもそんな声がぐるぐるしていた。

続きを読む

本気出して言い訳できなくなるのがこわい。

久しぶりに幼なじみとお茶をしたよ。

彼女は「流されやすいのをやめたい」と言ってた。

わたしは「君はもっと自分に自信をもてばいいんだよ。」といった。

彼女が人に流されてしまうのは、もしこれを断ったら嫌われるかも、とかちょっと嫌だけどそんなに嫌じゃないしまあいっかと相手に合わせてしまうからなんだとおもう。それであとで後悔するのだ。

 

彼女はとっても素敵な人だ。明るくて笑顔が素敵で爽やかでそこにいるだけで場が華やぐ。太陽みたいな人。

なのに彼女はいう。「わたしはどこにでもいる普通の人。」

続きを読む

バカなふりするほうがバカ。

今日ふと思い出したことがあるんだ。

けっこう前の話なんだけどドラマ「アラサーちゃん無修正」を見てたときのこと。

女「私と付き合おうよ。」

男「やだよ。だってお前、バカじゃん。」

女「男がバカな女が好きだからバカなフリしてるだけで、私から言わせるとそれにダマされる男がバカ(怒)」

男「でもお前ってバカな女を好きっていうバカな男の気ばっかり引いてるじゃん、それってバカじゃん。 

というワンシーンがあるんだけど、そのセリフ(『でもお前って、バカな女を好きっていうバカな男の気ばっかり引いてるじゃん、それってバカじゃん』)を聞いた時まるで頭をガツンと殴られたかのような衝撃が走ったんだよ。

「確かに…!まさにその通りだ。」と思ったんだ。

こうすれば喜ぶんでしょ?とバカなフリしてるくせに、いざ寄ってきたら寄ってきたで相手をバカにする。でも結局のところ、いちばんバカなのはそんなことしてる自分自身なのだ。
恐ろしいことに、最初はバカなふりだったとしても気づかないうちにだんだんとバカに染まっていってしまう。本末転倒である。あぁ、なんてバカバカしいんだろう!

「誰かに好かれたい」とホントの自分を隠して偽りの仮面を被った”わたし”が誰かに好かれたって人気者になったって、嬉しいという感情はあくまで一時的なものでしかない。次第に苦しくなっていってしまうのがオチなのだ。

偽りの自分をいかにうまく演じることが出来たとしても、

最後に残るのは虚しさだけ。 

刹那的で抗いがたい寂しさを満たしたいばっかりについ道を踏み外してしまったせいで起こった悲劇。だけど結局そうするでしか寄ってこないような人たちというのは、そもそも私の人生という舞台に必要なキャストではなかったのだ。

 

私の人生の主役はいつだって”わたし”なのである。 

 

おわり。

 

◯◯であるべき!という思い込みを外したら楽になったよ。

 

久しぶりに実家に帰ってきた。といっても半年ぶりくらいだけど。

 

わたしはお母さんのことが好きじゃない。

いや、好きじゃないっていうかなんていうか多分好きだから嫌いなんだとおもう。

好きだからこそ分かってほしくて期待してしまう。でもそれがいまいち上手くいかないから何度もがっかりして寂しくなって。だから素直に好きだと言えないんだ。たぶん

続きを読む

背水の陣ってこゆことかな。

たまに人とどうやってコミュニケーションをとればいいのか、わからなくなる。

すべてがぼやけていって、形はうしなわれてしまう。

 

ありのままの自分で生きようと、自分を偽るのはもうやめようと決意したのはいまからもうずっと前のことで、あの頃にくらべればわたしは強くなったし、素直になって、人に弱音まで吐けるようになってずいぶん変わった。

振り返れば遠いところまできたもんだ、なんて思うこともある。

 

でも、やっぱりわたしはむかしと変わらず弱いままなのかもしれない。

だって自分を見せているようで、見せてない。

 

つらさや苦しさや寂しさを伝えることはできるようにはなった。

「でも大したことはないよ。大丈夫。」という言葉と一緒にならね。

 

ほんとはもう限界で、壊れそうでいっぱいいっぱいで、助けてほしいってそう思っているというのに「ちょっとつらいだけだよ、ありがとう。大丈夫。」なんて言って強がってしまうんだ。

 

自分の弱さに気づかれてしまうことへの恐怖だろうか。

伸ばした手を振り払われる恐怖だろうか。

 

だけど恐怖の先にしか新しい道はない。

何が正しいのか、どれを選択するのが正解なのかといつも迷うけれど、きっとほんとはどれを選んでも正解なんだ。大切なのは、自分がどれを選びたいかなにがしたいかで、自分で決めたことが答えになる。

 

目をそしていても現実は悪くなるいっぽう。

もう、立ち向かっていくしか道は残ってないみたい、?

怒らない人になる方法。

 

f:id:Theskyisthelimit:20170302193842j:plain

怒りというのははたして、必要な感情なのだろうか。

怒りを感じてプラスになることはほとんどない、というよりむしろマイナスなことばかりな気がする。怒りっぽい人って人生損してない?

ってことで、きょうは怒りを感じないためにはどうすればいいのか、わたしなりの考えを書こうとおもいます。

 

”怒り”の正体とは。

わたしは怒る=思考停止だとおもってる。人は、考えることを放棄する代わりに怒るんじゃないでしょうか。 自分のことを棚に上げ誰かに責任をおしつけることで自分から目をそらしている。

だけど原因は自分にはない、悪いのはむこうだと思ってしまうと、それ以上成長することはできません。

 

怒りを感じたときこそ冷静に。

怒りを感じたら「どうしてわたしは今怒っているのだろう?」と考えてみてほしい。

なぜなら、怒りというのはたいてい偽物だから。

むかつく、腹立たしい、気に食わない、そういった感情の下に隠れている感情を探してみることが大切です。

期待していたのに裏切られて”悲しい”

自尊心を傷つけられて”恥ずかしい”

分かってもらえなくて”さみしい”

そんな感情が隠れてたりする。

 

自分から逃げてないですか?

多くの人は自分と深く向き合おうとしない。

本当の自分を知ることが怖いのだろうか。

自分と向き合うことから逃げるため、人は怒ります。だけど残念ながらそんなことをしてもあまり意味はない。永遠に続く追いかけっこみたいなもので、逃げているかぎりずっと追いかけてくる。

 

f:id:Theskyisthelimit:20170313212248j:plain

 

でも不思議なもので、逃げることをやめさえすれば怒りは消える。

あまりにもあっけなく、跡形もなく消えたりする。

怒りを感じたときに自分をみつめる、というのをクセにしているとだんだん怒りという感情そのものを感じなくなってくる。そして今まで怒りに隠れていた感情をダイレクトに感じるようになります。

いつも相手ではなく自分に焦点をあてるようにしていると怒りという感情自体、無駄なものだと思うようになってきたりする。なんてったって生産性がないしね。

 

怒りは不安の裏返し。

怒りというのは、自分を守るために発生する感情なんだとおもう。動物でいう威嚇的な。

怒りっぽい人というのは、傷つけられることを極度に恐れ、いつも周囲を警戒している人間なのだ。

でもそれって間違ってるよ。

だって、だれも自分を傷つけることはできないから。絶対にね。

自分を傷つけることができるのはこの世でただひとり、自分だけだ。傷つけられることを甘んじて受け入れているのは他でもない、その人自身なのだ。

「だれもわたしを傷つけることはできない。」


ただそのことに気づきさえすれば自分を守る必要はなくなり、怒りという感情は必要なくなる。

人生はつらい。だからこそ自分のために生きるべきだとおもう。

 

「もっと普通になって」

「どうしてみんなみたいに出来ないの?」

 

頭のなかからそんな声がきこえてくるときがある。

それは小さい頃、何度も聞かされた言葉。

何度も何度も繰り返され、わたしに深く刻みこまれた言葉。

 

わたしは普通なんてきらいだ。普通ほどつまらないものはないとおもってる。

 

だけどお母さんはわたしに普通になってほしかったみたい。

だから必死になってわたしを普通の型にはめようとした。普通になりなさい、普通がいちばんよ、って。形の違う穴に無理やり嵌められるのはもちろん辛くて、痛かった。

自分は間違ってるんだ、このままじゃ愛されないんだ。

そうおもうようになった。


あるときを境にわたしはすべてを受け入れた。

いや、諦めたといったほうが正しいのかもしれない。抵抗したり、理解してもらおうとあがくことに疲れてしまったんだ。そしてなにより愛されたかったんだとおもう。

期待される自分になろうと努力した。

だけど普通のふりをするのがうまくなればなるほど、
わたしは空っぽになっていった。

何が嘘で何がほんとなのか。
自分がなにをしたいのか、なにがすきなのかもわからなくて。

 

ふと気づいたら、自分がどこにもいなくなってた。

 

ほんとの自分をずっと隠していたせいで、どこに隠したのかさえ忘れてしまったんだ。

 

正直、あの頃の記憶はあんまりのこってない。

いつも夢の中にいるみたいにふわふわして、生きてる感じがしなくて、なにをしても虚しくてすべてがどうでもよかった。なのに「いつも楽しそうでいいよね」と周りの人は言うんだ。まるでピエロみたいだな、とぼんやりと思った記憶がある。

 

だけどわたしは生き返った。

止まっていた時間は動き始めたんだ。

 

紛れもなくわたしの人生はわたしのもので、誰かのために生きるのは間違っていると気づいたから。もうわたしはわたしを見放さない。

 

それでもたまにね、声がきこえるんだ。

「どうしてふつうになれないの?」

わたしはまだ弱い。挫けそうになることもいっぱいある。だけどきっと強くなるよ。たくさん傷つくかもしれないけれどそれも仕方ない。
だってそれが生きるってことでしょ?

 

「ふつうになんかならなくていいんだよ」と、わたしのすべてを認めてくれた人がいた。ほんとに感謝してる。あの人がいなかったらきっと今のわたしはいない。

だからね、今度はわたしの番だとおもうんだ。

誰かの背中をおせる人になるためにも、わたしは強くなりたい。

 

あなたの心のなかで消えそうになっているその小さな光をどうか消さないでほしいんだ。それはきっと最後の希望だから。

諦めないでほしい。

これ以上傷つきたくないかもしれない。

だけどどうか変化を恐れないで。

最初の一歩を踏み出すことができさえすれば、止まっていた時間はちゃんと動き出すから。