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行間をよむ

名前に価値があるのではない。言葉に価値があるのではない。

ほんとは自由

私は、人より感情が希薄だとおもう

 

 

と言ってみてもぜんぜん分かってもらえない。「なわけないっしょ(笑)」と言われるのが関の山。どうやら周りには、全くそうはみえないらしい。いつも楽しそうだよねと言われる始末である。ほぉ…そう見えてるんだねえ

 

感情が希薄というかなんというか、私は今この瞬間を楽しむ?というのがすこぶる苦手なんだと思う。「毎日楽しいでしょ」なんて言われても・・・え?そもそも楽しいって何?って感じだよ。心の底から楽しいってどんな感じ?


みんな楽しそう、てことは私もたのしい、よね?というふうに頭で考えてしまうくせがある。でもなんかそれって違う。感情ってもっとナチュラルなものな気がする。心の底から湧き出してくるっていうか。理由とか、そういうの置いといて、ただただ楽しい、みたいな。


冷静な自分がいつもどこからか見てるような感覚。自分のことなのにいつもどこか他人事。まるで心の中が錆びついて、うまく働きづらくなっているみたい。

 

今までは、それって生まれついた性質みたいなもんだとおもってた、

んだけど最近、やっぱそれって違くね?ってなってる。

「感情が薄い気がする」そう言う私に、はじめて共感してくれる人に遂に出会ったのだ。彼女は、自分は冷たい人なんだといった。感動したり泣いたりすることが苦手だと。…めちゃわかりますー

そんな彼女と話しているうちに、これは、元から持っている性質なんかではなく後天的に身につけたスキルだな、て思った。自分を守るために身につけたスキル。

形は違えど、私達はありのままの感情を表現することを制限されて育ってきた。

そして、表に出すことを許されなかった感情は、行き場を失った。誰にも必要とされないその感情を「役に立たない」「見せてはならない」「ダメなもの」だと幼い私たちは思い込んでしまったんだ。だから、そんな感情を自分の心の奥底にしまいこみ、がっちり頑丈に鍵をかけた。大事なものが壊れてしまわないよう、見えないところに隠したのだ。だってそうしないと、生きていけなかったから。


そして、皮肉なことに長い間そのままだったせいで、私たちは自分の手でかけた鍵をどこへ隠したのか、忘れてしまったのだ。

 

もしかしたらその鍵を探しだすことができたとき、私は変われるのかもしれない。変わるというより、戻るといったほうが正しいのかな。ほんとは最初からずっと自由なのかも。身軽になるため、今まで背負ってきた荷物をひとつずつおろしていく作業みたいなのをしてるのかもしれない。



私にはできないことや制限がたくさんかかっていて、いつも苦しい。だけど、だからこそ、それらをひとつずつ解除していくという楽しみがあるんだ。どんなことにも表と裏があるように。最初から自由であれば、それはそれで退屈だろう。苦しんだぶんだけ、幸せになれる、のかもしれないよねーそうだといいよねー

以上、ayan✕2üでしたー

 

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