行間をよむ

名前に価値があるのではない。言葉に価値があるのではない。

どんな自分さえ受け入れる。

人は色んな感情を持っている。

その感情は大きく2つに分けられて、プラスかマイナス、陰か陽。

 

嬉しい、楽しい、誰かに優しくしたい、仲良くしたい、喜ばせたい、与えたい、愛したい。

そういうのがプラスな感情だとするなら

つらい、苦しい、寂しい、うらやましい、奪いたい、死にたい、怒り、悲しみ、憎しみ。

みたいなのはマイナスの感情。

 

人は、プラスな感情をたくさん持ってる人をいい人、すごい人、人間的にできた人、徳のある人だという。

マイナスの感情を持ってる人のことは悪い人、心の狭い人、嫌なやつだという。

 

自分自身に対しても、マイナスな感情を抱く自分を責めたりする。

こんなことを考えてしまう自分はなんてひどい人間なんだって。そんなこと考えちゃいけない。自分は嫌なやつだ、って自己嫌悪したりする。

 

でもそれって、へんだよね。

なにがへんって上手く説明できないけれど。

 

どうして、「いい人間」でいないといけないのだろう。

いつのまに「いい人間」じゃないと認められない、価値がない、と思い込んでしまったのだろう。

 

心の底から愛してる人の、ダメなとこ、人間的にできてない部分を見てしまったとしてもキライになんてならないよね。

「幻滅した」「興ざめ」なんて言葉があるけど、その程度でキライになるなんて最初からその程度の気持ちだったってことだと思うんだ。
条件付きの愛でしかなかったってこと。

ほんとの愛はそんなもんじゃない。

「どんなあなたでも、あなたがなにをしても愛してる」

それが愛なんじゃないのかな。

 

もし自分自身を心の底から愛していれば、いい人にならないといけない、なんて自分を責めないはずだよね。

どんな自分だって愛しているんだから、どんな自分にも価値があるんだから。

 

みんな、自分に厳しすぎなんだよね。