行間をよむ

名前に価値があるのではない。言葉に価値があるのではない。

優しくない人が嫌いだ。

 

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待ちに待った冬休みがやってきた。わーい

こんばんは、あやんぬです。

 

 

相手が何を考えているか分からない、という人がいるけれど

私はそう思ったことがほとんどありません。

 

 

私は人から「優しい」と言われる事が多い。

だけどそう言われるといつも、なんともいえない気持ちになる。

だって、自分のことを優しい人間だと思ったことがあまりないから。

 

本当に優しい人というのは、人に優しくしてもきっと疲れないと思うのです。だけど私は疲れてしまうし。なんでこっちばっかり気を使わなきゃならんのだ?と苛ついてしまうときだってある。

 

 私は優しい人なのではなく、ただの小心者なのだ。それゆえ気をつかいすぎてしまう。いつも人にどう見られているのか気になるし、誰かに敵意をむけられたり、傷つけられることを恐れている。だから私は、人前にたつとき「理想の自分」という仮面をかぶるのです。その仮面が完璧なあまり、私のことを見かけ通りの人間だと思いこんでいる人は多いだろう。だけど、仮面の下にいるほんとの私は、硝子のハートを持つ、ただの心の弱い人間でしかない。

 

そんな私は優しくない人が嫌いだ。

なぜ嫌いなのか、その理由は、優しくない人は強いから。

 

 

彼らの世界は、いつも自分中心に廻っている。自分が好きなものは好き、嫌なものはは嫌、やりたいことはやりたい、とはっきり口に出すことができる。自分の本能に従って生きていて、優先順位はいつも自分が1番だ。それは簡単なことのようで、実はとても難しいこと。傷つくことをいつも恐れ、傷つくくらいなら、となにかを我慢したり、やたらと気を使ってしまう、心弱めpeopleにとってはとくに。

そんな心弱peopleのうちの一人である私は、誰からも嫌われない代わりに、ありのままの自分を表現することをいつの間にか諦めていたのかもしれない。

だからきっと、優しくない人が嫌いなのだ。だって、彼らを見ているとジェラシーを感じるから。

自分にはできないこと、我慢していることを彼らはあまりにも簡単に、そしてナチュラルにやってみせる。そんな彼らのそばにいて心がかき乱されてしまうのは当然で。あぁ、なんて自由で生きやすそうなんだ、と羨んでしまう。

 

でも、羨ましいと感じる彼らのように、私もなりたいのか、というとそういうわけではない。確かに優しくない人間に憧れる自分はいる。

だけどもし、自分が優しくない人間になったとして、いまあるストレスから解放されたとしても、そのせいできっと今度は自分じゃない誰かが嫌な気持ちになったり、ストレスを感じることになる。それは結局、何も変わっていないのと同じだ。苦しむ人が変わっただけ。

 

ありのままの自分で自由に生きてるんだけど、周囲の人も傷つかない。自分もみんなも幸せでHappy。お互いWin-Winの関係、ってのが理想なんだけど。でもそれを実際、実践するのはすごく難しい。

 

優しくない人≒強い人だと言ったけれど、

優しい人≒強い人でもあるんだと思う。両者とも強い人なのだけれど、前者はもとから強い人で、後者はもとは弱かったけれど、自分の弱さを見つめ、受け入れ、そして乗り越えた結果、強くなった人、という違いがある。

もちろん私がなりたいのは後者で。形だけの優しさではなく、ほんとの愛を与えられるような人になりたいのです。

 

あぁ、やさしくなりてー

 

 

ということで、ステファン・アインホルンの「やさしさという技術」を買ってきたので読んできます。

 

「やさしさ」という技術

「やさしさ」という技術