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行間をよむ

名前に価値があるのではない。言葉に価値があるのではない。

◯◯であるべき!という思い込みを外したら楽になったよ。

 

久しぶりに実家に帰ってきた。といっても半年ぶりくらいだけど。

 

わたしはお母さんのことが好きじゃない。

いや、好きじゃないっていうかなんていうか多分好きだから嫌いなんだとおもう。

好きだからこそ分かってほしくて期待してしまう。でもそれがいまいち上手くいかないから何度もがっかりして寂しくなって。だから素直に好きだと言えないんだ。たぶん

 

 

お母さんが私のことを好きなのは知ってる。愛されてることも分かってる。

彼女なりの精一杯なんだということも分かっている、からこそ悲しいんだとおもう。感情をぶつけるところがないから。何も分かっていなかったら「私はなんて可哀想なんだ」と悲劇のヒロインぶれるけど話はそんなに単純ではないのだ。誰かが悪いわけでも可哀想なわけでもない。どうしようもない、ただそれだけなのだ。そういうものなのだ。

 

考えてみると自分でも知らないうちに勝手に『お母さんなんだから◯◯であるべき!』とおもっていたんだなということに気づいた。

 

  • お母さんなんだから子どものことちゃんと理解するべき
  • お母さんなんだから毎日ご飯を作るべき
  • お母さんなんだから大人な対応をすべき

 

みたいな感じで。でもお母さんはお母さんである前に一人の人間なわけでお母さんという生き物ではないのだ。気づかないうちに自分で作り上げた”ふつうのお母さん”と比べてしまっていたみたい。なによりも”ふつう”という言葉が嫌いなわたしが!である。反省反省。

ホントの意味で親離れできてなかったのです。

「この人はこういう人なんだ。」とただ受け入れるのは赤の他人ならカンタンに出来るのに家族となるとこんなにも難しいだなんて不思議だね。

 

お母さんだから◯◯であるべき!というのと同じでわたしの中には家族だから◯◯であるべき!◯◯しなければならない!というのもある。

 

  • 家族は一番の理解者であるべき
  • 家族は大事にしなければいけない
  • 家族には感謝しなければならない
  • 実家がいちばん落ち着くというのが”ふつう”だ

 

などなど。

でもわたしは昔から実家があまり好きでない。家にいても落ち着かない。なんだかソワソワしてしまうし今も早く一人暮らしのマンションに帰りたいと思っちゃってる。

家族に対してものすごい愛が深いわけでもない。ホームシックとか一回もなったことないし正直なところ結構どうでもいい。別に嫌いとかではないんだよ!感覚的には高校の時の友だちみたいな?

高い学費も家賃も文句も言わず出してくれて更には仕送りまでしてもらってて、バイトもせず遊んで暮らしてるのにもかかわらず、そんなに感謝もしてない。めちゃくちゃ親のスネかじってるのに「いえーい!ラッキー!いやっほーい」くらいのテンションなのである。

でもそう感じている自分にいつもどこかで罪悪感を抱いていたのも確か。「こんなにしてもらってるのに」「恵まれてるのに」「私はなんてダメな人間なんだ!」「冷たくない?!」ともう一人の自分がいつも自分をチクチク責めてくるのです。つらぽよ。

 

だけどさ、ムリなもんはムリなんだから仕方ないよね!!て開き直ることにした。

普通が何だあたりまえがなんだ、そんなもん知らねー

っておもったらなんかすごい楽になった。し、そうおもったら逆になんかあったかい気持ちになったよ!

 

まあそれだけの話なんだけど。

◯◯であるべき!という思い込みは自分の首を苦しめるこわいものですね。みなさまもお気をつけください!!


好きなように生きたらええねん。