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行間をよむ

名前に価値があるのではない。言葉に価値があるのではない。

この世に正義のヒーローなんていない

人はそれぞれ、自分独自の価値観を持っている。だから自分と違う考えの人とぶつかったとき、争いが起こる。相手が間違っていると思うから。自分が正しいと思うから。だけど本当にそうだろうか?みんな、どこからそんな自信が湧いてくるのだろう。

 

私は自分が絶対に正しいなんて、口が裂けてもいえない。私が正しいんだからお前もそうしろなんて。いったい何様のつもりなんだろう。

別に林檎が好きでも嫌いでもどっちでもいい

例えば、私は「コツコツ貯金」とか「安定した仕事」みたいな、世の中でいわれる所謂「普通」というものが嫌いだ。嫌いというより、なんて退屈な生き方なんだろうと思ってしまう。だけどそういう生き方に魅力を感じる人がたくさんいることも、私は知っている。だから、そういう人たちに「つまらない人生なんてやめてさ、もっと楽しいことしようよ!」なんてことは、もちろん言わない。だってそれは、林檎が好きな人が嫌いな人に「林檎めちゃくちゃ美味いじゃん!林檎食べれないとか人生損してるって!好きになりなよ!食べなよ!」って言ってるのと同じだもん。


何が楽しいのかなんていうのは、人それぞれ違って当たり前。だから誰かの意見が、たとえ自分の考えと違ったとしても、「私はそうは思わないけれど、そういう考え方もいいね、なるほど。」と思うだけで、どっちが間違ってる、とかって問題では無いのだ。

 

どっちも正しくてどっちも間違ってる

ようはなんだっていいのだ。何をするも、何を考えるも、自由。


今まで、たくさん否定されてきた。

「現実はそんな甘くない」
「みんなも我慢してる」
「責任をもて」
「もう子供じゃないんだから」



「普通になって」
親にもそう言われた。

なんで皆が簡単にできることが、私にはこんなに難しいのだろう?私は間違っているのかな、我慢が足りないだけ?甘えてるのかな?

誰も認めてくれないから、自信をなくした。だから周りが望む自分になってみた。だけどそれは、丸い釘穴に四角い釘を無理やり打ち込んでいるようなもので。当然ながら、窮屈で、苦しくて、痛かった。このままじゃ壊れてしまう気がした。

 

やりたくないことはやらない、我慢もしない。

だからね、もうやめることにしたんだ。自分を信じることにしたのです。 どっちを選んでも辛いのなら、自分のやりたいこと、楽しいこと、魅力的だと感じることだけで、生きていけるのか、幸せになれるのか、試してみようと思うんだ。

そんなの甘いって思う?無理だと思う?でもさ、やってみないとそんなの分かんないじゃん。未来なんて分かんないし、やってみてから考えるよ。


もちろん、誰かに認めてもらいたいと思う気持ちは、昔と変わらず今もある。だけど、それをちょっとの間だけ我慢することにした。待ってても何にも始まんないからさ、今は誰にも理解されなくてもいつか私を認めてくれる人が、理解してくれる人が現れるって信じて、一歩踏み出そうと思う。

 

まずは私が、私自身が、自分のことを認めてあげるところから始めることにした。私は私を見捨てない。始める前から諦めるのはもうやめる。

 

いつか、多様性が認められ、どんな人だって素敵だと、認められる未来がくるといいな。