行間をよむ

名前に価値があるのではない。言葉に価値があるのではない。

「あなたのことが嫌いです」と言える人になりたい

「きらい」という言葉を口にするのは、なかなか勇気がいる。

「嫌わる勇気」なんて本が少し前に流行ったけれど、その反対の「嫌いになる勇気」といいますか、「嫌いを口にする勇気」といったほうが近いかな。

私は日常生活の中で「嫌い」という言葉をあまり使わない。

それに近いニュアンスとして「苦手だ」という表現を使うことのほうが多いのだけれどそれは「嫌い」という言葉の軽々しく口にするにはあまりにも強すぎる影響力、というか言霊の力みたいなものにびびっているからなんだと思う。

だって「嫌い」という言葉というのは、鋭利な刃物のように簡単に人を傷つけることができてしまう強いパワーのある言葉だから。

自分で言うのもなんだけど、わたしは自分のことを傷つきやすい繊細な人間だと自負していて、だからその言葉の破壊力は身をもって知っているつもりだ。

「だれかから否定される」というのはやっぱりどうしても悲しいものだし、自分がされて嫌なことを人にした場合、わたしは相手がどう思うか云々よりその行為をしている自分自身に耐えられない!となってしまうので、そういうことはできない。

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と、ここまで長々と言い訳めいたことを書いてしまったのだけれどほんとのところ、人に嫌いだと言えないのは「自分に自信がないから」というのが一番の理由なのでは?と最近気づいてしまった。

 「正解なんて存在しない。同様に間違いも存在しない」

というのがわたしの基本的なスタンスなのだけれど、その言葉には同時に「自分が絶対正しいなんて言い切れる自信も強さもない。だから自分に相手を否定する資格なんてないし、そんな勇気もない」という不安があったんだなあ、と。

自分の意見にどこか自信が持てずに「もしかして相手のほうが正しいのでは?」という気持ちがいつもどこかにあって消せなかった。

だからこそ、人に否定されると「もしかしたら自分がまちがっているのかもしれない」とすぐに気持ちが揺らいだり、ネガティブな気持ちになったりするし、あんたなんか嫌いだと言われたら「あぁ、自分なんて」と簡単に傷ついて落ち込んでしまっていたんだとおもう。

自分に自信がない(正しいと思えない)わたしなんかが人様を悪く言う資格なんてないと思っていて、だから「あなたが嫌いです(間違ってます)」と言うことができなかったんだよね。

わたしのそういうところを素直だとか柔軟性があるだとか、それがきみの良さなんだから治さなくていいよ、と褒めてくれる人はいたけれどそう言われても、自分的にはやっぱりなんだかしっくりこなくて「うーん?そうなのかなあ?」と感じていた理由がなんとなく分かった気がする。

たしかに柔軟さ、間違いを認める謙虚さ、みたいなものは大事だけれど「わたしは正しくて、だからあなたの意見はわたしの世界の中では間違ってるんだ」と言える強さ(自信?)みたいなものが今までのわたしには足りてなかったんだと思う。

自分のことはまず自分が信じてあげないといけないね。 

私の世界では貴方は間違っている。
でも貴方の世界じゃ貴方が正しいんだよ。

それでいいじゃないか、ぶつかる必要はどこにもないはず。

貴方は貴方の世界を生きてください。

私は私の世界を生きていくから。

 

否定するわけでもなく、ぶつかるわけでも相手を変えようとするのでもなく、悪意がなくて濁ってない透明な「あなたのことが嫌いです」が言える人になれるといいなって思う。