行間をよむ

名前に価値があるのではない。言葉に価値があるのではない。

強がるのはもうやめよ?つらいって言っていいんだよ。

わたしは強がりである。

人前で泣くのは苦手だしつらい時に素直に甘えられないし人に自分の弱い所を見せることに抵抗がある。

類は友を呼ぶというのか、そんなわたしの周りにはわたしと同じで強がりな人間が多い気がする。

周りの期待に答えようとしてしまう。

強がってしまう原因のひとつに、周りの期待に答えようとしてしまうというのがある。

もちろん例外はあるけれど強がりな人というのは、基本的に世間一般でいう”できた人間”が多い気がする。ようは周りからの評価が高い。

「大人っぽい」「優しい」「頼りになる」「かっこいい」

周りからの評価が高いぶん、余計にみんなが思う自分でいなければならないと思い込んでしまいがち。

だけど心の中では「ほんとは全然そんなことないのにな」と考えている自分がいたりする。そのため周りから自分に厳しい人というイメージを持たれることも多い。 

強がってしまうのは自分に自信がないから。

人の期待にこたえよう、みんなが思うわたしでいなきゃと考えてしまう根底には自己肯定感の低さがあると思う。

人間誰しもダメなところや弱いところがあるのは当然、だけど自己肯定感が低い人というのは、ダメな自分を見せたら嫌われてしまう…という恐怖がいつもどこかにある。

だから「しっかりしないと」「優しくしなくちゃ」と自分に言い聞かせ強がってしまう。

・褒められても素直に受け取れない

・本音をいえる人が周りにいない

・いつも孤独を感じる

これらに心当たりのある人は立派な強がりさんだ。

本当の意味での自信がない。

強がってしまう人というのは、無条件に愛された経験が少なかったり、反対にありのままの自分を否定された経験があったりするんじゃないかと思う。

両親から与えられたのが条件付きの愛(勉強できないと愛されない、いい子じゃないと愛されない)だったり、子どもの頃にいじめらたことがあったり。

そういう経験をしたことで「ありのままの自分には愛される価値がない」と無意識のうちにに思い込んでしまったんじゃないかな。

完璧を求めすぎてしまったり、人に必要以上に優しくしすぎたりしてしまうのはきっとそのせい。

まさに昔のわたし。

ダサいところはみせたくなくて、ホントはいっぱいいっぱいなのにいつも余裕なフリしてた。だけど、そういう生き方って苦しい。孤独だしなんだかいつも息苦しい。

しかも認められたくて愛されたく必死に頑張ってるのに、いざ認められたり周りに褒められてもなんだかシックリこないという虚しさ。

どんなにがんばっても心は乾いたまま。

 

なぜなのか?

それは自分に自信がないから。

わたしは自分に自信があるほうだと思ってたし、自分のことがけっこう好きなほうだとおもってた。だけど違った。確かに今まで頑張ってきた自分作り上げてきた自分には自信がありました。

だけど、ありのままの自分には、全くと言っていいほど自信がなかったのだ。

わたしの自信は、見せかけの自信でしかなかった。

それに気づいたとき愕然とした、ショックだった。今までの努力は何だったんだろうと思った。

どんなに頑張ったところで、認められたところで、満たされなくて当然だ。
だって、努力する方向が間違ってたのだから。 

どんなわたしでもいい。

ありのままのわたしに本当に価値はないのか?

あらためてそう考えてみたとき、もしかしたらそれは単なるわたしの勝手な思い込みでしかないのかもしれない、そう思ったのだ。だから試してみることにした。

ダメ人間でいい、勉強ができなくてもいい、大人にならなくてもいい、優しくなくてもいい。

好きなように生きてみることにした。

まず自分を愛してあげる。

 今までいっぱい頑張ってきた、から、もう頑張るのはやめる。もう十分頑張ったと思うんだけど、どうかな。

 

自分の嫌なとこ弱いとこをみせたくらいで離れていってしまう人は、今まで気づかなかっただけでほんとは器が小さい人間だったってだけ。
そんな人はほっときましょ、自分にはもとから必要のない人間だったんですよ。

自分が変わると自然と周りに集まってくる人も変わってくる。

変わったことを受け入れてくれない人は離れていって、代わりに新しい自分を受け入れてくれる優しい人たちが寄ってくる。

変化を恐れないことを選ぼう。何かを得るときには何かを捨てないといけない。

 

周りを見ていると素敵な人や優しい人ほど苦しんでいる気がする。
そんなところで腐っていくのはもったいなすぎる、って人いっぱいいる。
もっとみんな自信を持てばいいのに、自分を低く見過ぎだよ。

自分では気づいてないかもしれないけれど、あなたはとっても素敵な人。