行間をよむ

名前に価値があるのではない。言葉に価値があるのではない。

愛のある暴力?なにそれ、ばかじゃないの。

どんな理由にしろ、暴力をふるっていい理由になんてなるはずがないんだ。

 

もちろん昔に比べれば暴力は減ってきてるのは知ってるよ。

教師が体罰で首になったり、家庭内暴力だやれ虐待だと、そこまでする必要はないんじゃないか、なんて言われてたりするけれど。

わたしはそこまでする必要は、”ある”と思う。

だって人が暴力を振るわれていい理由なんて、存在するはずないじゃないか。
愛ある暴力?しつけ?そんな言葉を聞く度、わたしはとても悲しくなる。
怒られなくても殴られなくても、ただきちんと説明しさえすれば、小さい子供でも理解できる。

それなのになぜ人は暴力をふるうのか?

それは、コントロールしたいからだ。
恐怖という感情によって相手を従わせたい、自分の思うように動かしたい。
そうすることにより、自分に価値を感じたいのだ。

 

そこに相手に対する愛なんて一欠片もありはしない。

あるのは、自分の感情をぶつけてストレス発散したい、相手より優位になって優越感に浸りたい、そんなあまりにも幼稚で自分本位な考えだけだ。

いかに正当化しようとしたところで、そんなのむりだよ。

 

結局、怒りや暴力による恐怖で人を動かそう変えようとする人間というのは、自分に自身のない人間なのだとおもう。自分の価値を示そうと、他人に認めてもらおうとして必死なのだ。

ほんとはそんなことする必要なんてないのに。
恐怖や欠乏感でレンズがくもっちゃって、ほんとのことが見えなくなってるんだね。

自分にきちんと向き合わないかぎり、相手に矛先を向け続けてるかぎり、苦しいまんまだよ。