読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

行間をよむ

名前に価値があるのではない。言葉に価値があるのではない。

バカにするのとただ受け入れるのは似てるようで全然違う。

 

すぐに人をバカにしてまう自分が嫌いだった。

 

「なんでこんなことも分からないの?」「何にも考えてないじゃん」「この人には言っても無駄」「バカみたい」

笑顔で当たり障りのない会話をしていても、頭の中ではいつもそんな声がぐるぐるしていた。

 

それなのに、みんなはわたしのことを「優しい」「心が広い」「大人」といって褒めるんだ。
そう言われるたびまるで自分が嘘つきみたいで居心地が悪くてムズムズした。ただわたしはただあなたたちを見下してバカにして諦めてどうでもいいと思っているだけなのにどうしてそれが分からないんだろうと思った。


たぶん隠すのがうまくなったんだ。

もっと小さかった頃、「あなたには人をリスペクトする気持ちが足りない」と母親や学校の先生に怒られたことがある。怒られたとき、そんなこと言われてもどうしようもないとわたしは途方に暮れた。
わたしに問題があるというよりその場合リスペクトに値しないあなた達の方に問題があるのでは?と感じたのだ。可愛くない子どもだねえ

でもそんなことばかり言ってると角が立って仕方ないからわたしはお世辞というものを身につけた。お陰でずいぶんと生きやすくなった。

 

でも、そんな自分がキライだった。

ひねくれて計算高いあざとい自分を受け入れたくなかった。

真っ白で爽やかなひとにほんとはなりたいのに、どうあがいてもそうはなれない自分が悲しかった。

 

まあ昔の話なんだけど。

 

今は昔みたいに別に”いいひと”になりたいだなんて思ってないし、性格の悪い自分がキライだとも思ってない。

そもそも今は自分が性格わるいと思ってない。てかどうでもいい。

 

それにわたしは気づいたんだ。

「バカにする」のではなく「ただ受け入れればいいんだ」ということに。

 

ある人に言われた。

「きみは赤ちゃんのこともバカにするの?」

さすがのきみも赤ちゃんには何も求めないだろ?と彼は言った。それとおんなじさ、分からない人には分からない。できない人にはできないのだから、ただそれを受け入れるだけでいいんだ、と。 

バカにするのではなく、ただそういうものなんだと理解して受け入れる。 

似てるようで少し違う。そこにはマイナスな感情は存在しない。

 

そもそも世の中にマイナスなものはないのかもしれない。

どう解釈するかはいつだって自分なのだから。