行間をよむ

名前に価値があるのではない。言葉に価値があるのではない。

どこへ行っても自分からは逃げられない

他人は自分の鏡だ。

 

 

私たちはみんな、自分のレンズを通して世界をみている。そのレンズを外すことは不可能だ。そして、そのレンズが歪んでることに気づくのはとても難しい。自分と同じ現実を生きている人は誰ひとりとしていないだろう。

 

人は皆、自分の世界を生きているのだ。ある意味、世界は自分を中心にまわっているというのは正しい。

 

他人の言動にひっかかるとき、苛ついたり、傷ついたり、心が落ち着かなかったり。それは、相手が悪いのではない。私が悪いのでもない。ただ、そこには気づきがあるだけだ。

 

そんなふうに感じてしまう、捉えてしまう理由が自分の中にある。ただそれだけのこと。そのことに気づくだけでいい。気づきは癒やしになるから。

 

なのにそのことに気づかず、多くの人は遠回りをしがちだよね。気づかないふりをしたり、誰かのせいにしたり。勝手に自分で問題を複雑にしている。責任転換しようとしたり、他人を変えようとするのは無駄な努力だよ。だって全ては自分の問題でしかないんだもん。他人は自分の鏡なんだから。

 

私は貴方で、貴方は私で、全てはひとつ。

 

aloneなのではなくalloneというけれどそれは真理なんだと思う。まだ私にはその実感はないけれど、いつか気づくときがくるのだろう、とぼんやりと思ったりする。

 

何より怖いのは、目の前にある嫌なことから目をそらし、その場は逃げきれても、それは違う形でまた自分の前に現れるってこと。しかも次に現れるときは、より大事になってる可能性が高い。

 

そのことに気づき、受け入れるまでそれはいつまでも続く。どこに行っても自分からは逃げられない。だからこそ自分ときちんと向き合うのが大事なんだよね。

 

そんなことをブルーベリーマフィン食べながら考えてた今日でした。