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行間をよむ

名前に価値があるのではない。言葉に価値があるのではない。

他人を許すより自分を許すことのほうが何倍も難しい。

 

 

ときどき心臓が、わけもなく痛みだす。

 

ギュッと掴まれたみたいに息苦しくなって胸の真ん中がじくじくと痛む。

昔は今より酷くて息苦しすぎてよく死にそうになってた。
どんなに深呼吸しても息ができなくて困ってしまう。
肺に穴が空いてしまったんじゃないかって気持ちになるんだ。

それはいつも突然やってくる。

ウトウトしてたり、歩いてたり、TVをみてたり、そんなときに前触れもなくやってくる。まわりの酸素が突然なくなってしまうのだ。

 

最近はそんなふうに息苦しくなることはなくなった。
でも全くなくなったわけではなく、やはり少し心臓が痛む。

勝手に息苦しくなるのはきっとストレスが原因だとおもってた。

ひとつずつストレスの元を断っていくごとに、それに比例してわたしの息苦しさもマシになっていったからたぶんその推測は正しいんだろう。

 

そして今、わたしにはストレスがない。

全くないと言ってしまえば嘘になってしまうのだけれどほぼない、と自分ではおもっている。しあわせものだ( ˘ω˘)

なのに昨日お洒落なカフェで、私のいちばん大好きなレモングラスハーブティーを飲みながらぽやーっと「うへへ。今日もたのしい」とか考えてたら急にわたしの心臓がじくじくと痛みだしたのだ。

不思議だな、と思った。

 

わたしの心臓はいったい何が不満なのだろう。

 

ふと頭に思い浮かんだのは「わたしは自分を許していない」という言葉だった。

きっとこの痛みの正体はそれだ、って気がした。

 

最近、友人に「なんだか初めて会った頃よりずいぶんと丸くなったね。」と言われたのだけれど、それはきっとわたしが色んなモノを許したからだろうと思う。

上手く言い表せないけれど許したというよりは”愛になった”というのが一番近い。怒りや憎しみ、憤りの下にはいつも悲しみや寂しさがあってそこを受け入れると不思議と怒りや憎しみの感情は消えてなくなる。解放されるのだ。

人のことなどどうでもよくなってしまう。もちろんいい意味で。
人に優しくなれる、気がする。知らんけど

 

だけど他人を受け入れることはできても「自分自身のことは受け入れられていなかったのだ。」と気づいた。

 

たぶんわたしは自分を許せていない。

遠い過去に傷つけてしまった人のことを心の何処かで思い出しては今でも後悔しつづけているのだとおもう。許されないことをしてしまったと嘆いている自分がどこかにいる。

あの頃のわたしは、とても辛くて余裕がなくてそんな自分が歯がゆくていつも苛ついていた。怒りと恐怖と虚しさがわたしを支配していた。幼かった私はその苛立ちを周囲にぶつけることしかできなかった。

もしこれが他人の話なら「それがその時のアナタの精一杯だったのでしょう。」と優しく抱きしめられるのにそれが自分だとなると、なかなかそうすることは難しい。

わたしが人を傷つけることをとても恐れていたり人を平気で傷つける他人をみて心が波打つのは、きっとそんな過去の自分を許せていないからなのだとおもう。 


他人に優しくしすぎて疲れてしまう人というのは自分に厳しすぎる人なのかもしれない。
 


わたしを許してあげたい。
優しくしてあげたい。

大好きな人を愛するように自分を愛することができたとき、わたしは幸せになれるのではないかと思うのです。